欽ちゃん劇団ブログ

飯野雅彦の過去ログ

飯野雅彦の過去の書き込みです。

第十二章

イモとの生活が始まってから蚊取り線香を焚けなくなった。
実際あの線香がイモに悪影響なのかどうかは分からないが「殺虫の為の物」となれば避けざるを得ない。よってそれまでの夏の風物詩であったあの香りが今年は消え、そのかわり室内にいかに蚊を入れないかの取り締まりがより強化された。
そこにきて今度は飛べないとは言え成虫となった蝶との同居がスタートとなったら完全に蚊取り線香は封印である。あの香りが好きでもあったので少し寂しかったが仕方ない。
そうして思わず始まった8番との同居。改めて妻に確認するとどうやら今までのルール「目に入らない所でならOK」が適用可能との事なので晴れて公認入居となった。
さあ、どうしていこうか…。一先ずまた調べを入れてみると、こういうケースは珍しくないらしく色々な体験談を読むことが出来た。
単純に砂糖を溶かした水を与えれば良いらしいが、手厚く世話してもせいぜい一週間程の生命であるとの事だった。
なるほど、だとしたらその一週間を共に謳歌せねばと思った。
早速住み処を作る。
サナギを孵化させていた小さなバケツ状の入れ物をそのままのセッティングで使う事にした。
内部はタオルをふんわりと置いているのでつかまりやすくなっている。その底の中央にペットボトルのフタを置き、半分砂糖を入れ水を一杯に落とし、かき混ぜてティッシュを丸めて中に入れ砂糖水を含ませる。それを「花として吸ってはくれまいか」と促すべく設置してみた。
しかしやはりそれをチューチューすることはなかった。これは少し補助してやらないといかんなと覚悟を決めた。
思いきってバタバタする8番の羽をつまみ、ゼンマイ状のストローの様な吸い口の横からその中央に向かって爪楊枝を入れ引いて吸い口を伸ばし、その先を砂糖水で潤ったティッシュに付けてみた。伸びたら吸い口は2cm位の長さになった。結構長い。
勿論8番は羽根や足をバタバタさせて暴れたし何度も爪楊枝を足ではじいて失敗したので「やはりちょっと強引だったかな。」と止めようと思ったが他に手が思い付かなかったので暫く続けていたら、遂にその吸い口の先をティッシュにポンポンつついて当てる様になった。
ポンポンしている間は足をジタバタさせることなく落ち着いてティッシュにつかまっているので「この感じは、ちょっと吸っているみたいだな。」と思った。
今度はティッシュを外して直接砂糖水に先を付けてみた。すると正にストローでチューチュー飲んでいる様にそのまま大人しく吸ってくれた。
「なんだ、直接砂糖水のシステムで餌やりはなんとかなりそうだな。」と一先ず安心した。
ひとしきり飲ませた後は再びティッシュに砂糖水を含ませそのままバケツの底に設置して8番も中に入れた。すると8番はスサササと歩いてきてティッシュの上に乗り止まった。その後そこが定位置となった。
見ていない時に自主的にチューチューしているか分からなかったがとりあえず定期的に栄養は与えねば、と思い「つまみ砂糖水吸わせ」は朝夕の二回行った。
不安だったがこういった荒療治的な飼い方を始めて二、三日が過ぎた。8番も元気にバタバタやっているので安心した。
「ああして無理矢理吸わせているが実際に吸って栄養になっているのだろうか。」と思っていたがこうやって元気にしているのだから大丈夫だろう、と思うことにした。
段々と「ツマミサトウミズスワセ」のスキルも上達してきた。(恐らく)最低限のストレスで羽根を捕まえてゼンマイ吸い口をスイっと伸ばせる様になってきた。そして吸っている間は大人しくなり、手をはなしても大丈夫な様になった。
そんな様子に妻も興味がある様だった。私がスワセをやっていると必ず見に来た。ああそうだ…彼女は「人がモリモリ食べているのを見るのが好き」だったのだ。このケースは「モリモリ食べる」ではなく「チューチュー飲む」だがこれも有効だったのだろうか。
四日ほどしたら、夕方妻は帰宅するとすぐにバケツの所に行き覗きこんで8番の姿を見るまでになった。
「ただいま。えぇっと元気かな?」
「お帰り。さっき砂糖水新しくしてあげたんだけどバタバタ元気に吸ってたよ。結構まだまだ生きるんじゃないかな。」
「へー。良かったねー、チョーちゃん。」
「え?…チョーちゃん?…まさかまた名付けた?」
「うん、蝶のチョーちゃん。」
なんと安易なネーミング…。ヒ、ヒドイ、と思ったが、なんだかそのストロングスタイルのヒドさが面白かったのと、やはり名付けてくれた事が嬉しかったので乗る事にした。
8番は今日から「チョーちゃん」になった。

第十一章

2番は気が付くと、近くに張り付けていた割り箸にうまいことぶら下がって羽根を乾かしていた。ちょっと出かけている内に産まれたのでその瞬間はまた見れなかった。
3番は1番と全く同じ状況になった。朝見ると産まれのパターンだ。
4番は初の黒アゲハで夜にちょっと目を離している内に産まれた。サナギになって産まれるまで十二日かかった。中々その瞬間を見る事が出来ない。何かそういう視線を察知して産まれる瞬間を見させない、気付かせない能力があるのだろうか。
5番も在宅中だったが見れなかった。
旅立ちもそれぞれだった。一目散系もあったが「別れを惜しむ」系もいて感傷的になったりした。
そんな孵化ラッシュの中で「セブンになる様子」や「セブンからサナギになる様子」は目撃する事が出来た。ムービーも撮った。初めて見るその行動は衝撃的だった。
激走後のイモは体を設置する場所を決めるとまず壁に逆さまに縦にとまり口から出した糸で小さな足場を作り、そしてまたクルリと縦に壁にくっつき足場に足(というか体の末端)を乗せる。そして口で壁に糸を付け伸ばしてきて、自分の後頭部の周りをクルリと器用に回して糸の反対側を壁に口で付け、ちょうど首にタオルをかけたみたいな形を作り(そのタオルの両端が顔の前の壁にくっつけてある、みたいな)その糸にグッと後方にもたれてちょこんとお辞儀をした体型を作る。その時にグググッと体が半分以下の大きさに凝縮される。そんな職人技を使いセブン状態になった一日後に、ズルズルと体をくねらせながら脱皮をしてイモのビジュアルを捨て去り緑一色のサナギに変化する。この脱皮の様は「着ていた浴衣を手を使わずに体のクネクネだけで脱ぐ」といったかくし芸を思わせた。
見事だった。月並みな表現だが不思議な光景だった。
こういう過程だ、という決まりがこの一つ一つのイモにプログラムされていて、それが当たり前の様に展開されていく。
本能。もうそうなんだから仕方ない、そうなります。考えて、とか理屈じゃない力強い進行。この感覚が羨ましく思った。

その後、7番が6番より先に産まれたり等のイレギュラーはあったりしたが順調に我が家からアゲハが巣立っていった。このまま全てのイモが普通に蝶になっていくと思っていた。しかしそうはうまくいかなかった。ある事故が8番の身に起きた。
過信していたつもりはなかった。いつもの様にバケツをセッティングして万端だと思っていた。
8番も日中に孵化しなかったので「またアサミルトウマレかな?」と思いその日はいつものバケツセッティングをして寝た。
そして朝。バケツを覗くと8番は産まれてはいたがバケツのそこのむき出てしまっているツルツルの底でパタパタともがいていた。
その周りのタオルには黒いりん粉が広範囲に付いていた。恐らくサナギから出たもののタオルや割りばしにつかまりきれず底に落ちてもがいている内にタオルもはげてそのままツルツル面の上で格闘していたのだろう。
すぐに手で救い出してみたが、その姿に絶句した。
羽根が平らに固まりきる前に底に落ちてしまった8番の羽根は丁度半分の辺りで内側に曲がってしまっていたのだ。
なんとかならないかと羽根をチェックしてみたがもうすっかり固まってしまっていた。ドライヤーで温めて伸ばしたら、等と考えたが無理だとすぐに気付いた。生き物なんだよ、ワイシャツの襟じゃないんだ。
当然8番は飛べなかった。
パタパタ全力で羽根動かすが空を舞う事は出来なかった。
8番も思っているに違いない。「あれ?こうしたら飛べる筈なのに。おかしい。」と。
もっと注意してセッティングするべきだった。
8番は飛ぶために産まれてきたのに、8番は何故飛べないかを知らない。
私のせいだ私のせいだ私のせいだワタシノセイダワタシノセイダワタシノセイダワタシノセイダ…。
取り乱した。
その時に強烈に思った。
「そもそも私が保護して孵化させるなんて事が不自然なのではないか。」と。
8番は私と出会わなかったら今頃は大空を優雅に舞っていたのではないか、と。
妻も全てを見ていて落ち込んでいたが、まだ私より冷静だった。
「でも家に来なくて外にいたまんまだったらイモの時に食べられたり死んじゃってたかもしれないんだからさ。沢山おいしく葉っぱ食べて一応蝶になったんだから良かったんだよ。」
「…まあそうだけど、しかしこれはちょっと残酷な事しちゃったわな…。」
「でも生きてんだから、まだ。」
「…うん。まあ、そうだよな。うんよし、こうなったらこのまま8番を飼うしかないかな。」
事故や事件を無駄にしない唯一の方法は「再発しない努力をする」だろう。ならば教訓を生かしこれからの産まれてくる準備はより一つ一つ丁寧に気を張ってやっていこうと決意した。
そしてこれからどれだけケアしてあげれるか分からないが出来る限り8番の世話をしていこうと決心した。
「しかし、こういう蝶ってどうやって飼えば良いのだろうか?」
こうして思わぬ形でアゲハ蝶8番との同居が始まった。

第十章

1番がサナギになってその様子に余りに変化が無いので少し心配していた。しかし八日後にいつもの様にチラチラ見ていて「あれ?」と思った。
「ちょっと模様が浮かんできているのでは?」
黄緑色だったボディに薄い黒や白っぽい斑点が浮き出て来ているではないか。
その後1番はゆっくりと変色して九日目を過ぎるとサナギの薄皮一枚の向こうに黒い物体がギュッと収まっているのが良く分かるまでになった。
ついに来たな、いよいよだ…。
孵化する様子を是非間近で見たいと熱望したが、ならば二三日寝ずに定点観測覚悟、となればそれは不可能。まあその後にも孵化待ちが控えているのでまだチャンスはある、無理はやめようと思った。
その頃には窓枠のオブジェと化した2番を含め9番までのイモがスクスクと育っていたので、これだけいれば孵化する様子や他にも「セブンになる様子」「セブンからサナギになる様子」もいつか見れるだろうと思った。とにかく自分が見たい欲求は抑えて自然のままに。見れたらラッキー、という事で。
どういうタイミングかは分からないが今後の展開は「サナギの上部から殻を破って出てきて羽根を乾かす為に暫くは止まっている」らしい。しかし実際どんな事になるかは未知数。もうすぐなのは確実なので、もし見ていない時に孵化した場合に備えてバケツにカップを入れ、一応割り箸をサナギの近くにセット。そして産まれてすぐにどこかしらにつかまれる様に内側にタオルをぐるりと設置してみた。ツルツルのバケツの内壁全体を引っかかりやすくした訳だ。
「とにかく無事産まれてくれれば良い。」そう祈った。

十日目の朝が来た。
気になっている為か昨夜も何回か目が覚めてその時にチェックしたが1番に動きはなかった。
なので、まだだろうなとフラッとバケツを見に行ったら…産まれていた。おぉ…1番イモがアゲハ蝶になった…。
「本当にこうなるんだ。」と思った。
パリパリのサナギの皮の少し上のタオル面に、まだ羽根がシワシワの状態の1番がじっとしがみつく様に静止していた。模様からしてスタンダードな良く見るタイプのアゲハである。おぉ…これだけの体を小さなサナギの中に閉じこめてさぞ窮屈だったろう。
この羽根のシワシワ感からして産まれたてなのだろう。だとしたら「もうちょい待って孵化するところを見せろよ〜。」と思ったがそれはもう良い。
タマゴから飛び出して約三週間。あのイモがこれになったという事実がまだちょっと信じられない。
あんなミクロな茶イモだったのが黄緑になって、モジモジサクサクしたら、今や黒ベースに鮮やかな薄茶や白、薄紫やオレンジの複雑な模様をあしらった空飛ぶベルベットになるなんて。理屈ばかり考えがちな頭ではまだちょっと追い付けない。
1番はその後ニ十分程かけてゆっくりと羽根を伸ばし、遂にはピンッと広げてパタパタし始めた。
起きてきた妻もその姿を見て興奮していた。
妻も頑張ってくれた。虫苦手を無理矢理克服してもらいサポートしてくれたから1番は無事に孵化する事が出来た。
アゲハを見た妻は嬉しそうだった。良かった。そんな妻の姿も見たかったのだ。
せっかくなので滅茶苦茶観察した。
アゲハ蝶をこんな間近で見る事は初めてだ、しかもちょっと指を出したら乗ってきて、手の中でじっとしているではないか。
間近で見ると本当に綺麗だった。なにせ産まれたてだから傷一つ無い新品。ジャケットから初めて出したバリバリ新品のアナログレコードを思わせる黒光りの美である。
今まで「長男だから1番」とか言っていたが、良く見たらメスだった。長女だった。
妻にも見せると、
「この模様ってイモっぽくない?」と言ってきた。
「え、どこのこと言ってんの。」
「この羽根の下の所の模様がこう…。」
気が付かなかった。確かに羽根を開いた時の下のふちの模様がイモムシを横から見た時の姿に似ていた。しかも両方の羽根にシンメトリーにあるので二匹のイモが内側に見合っている様子に見える。
「一度液状化するにしても、イモ時代の模様の名残をこんな感じで残しているのかね。そう言われたらこの模様、イモにしか見えなくなってきた。しかし良く気が付いたね。」
「そこそこ見せられていましたからね。で、すぐに外に放しちゃうの?」
「まあサナギになってから十日間何にも食べてなくて腹ペコだと思うからすぐ放してあげたいけど、少し飛んだり落ち着いてきたらにしようと思う。」
「分かった。じゃ私は行ってきます。」そして妻は1番に「じゃあね」と別れを告げて仕事に出かけた。
私はまだ外出まで時間があったので暫くは遠目に観察しながらコーヒーでも飲んでいた。
「アゲハカフェ」である。
一時間もしたら飛びが安定してきた。網戸に向かって元気にパタパタ「出たいのだが」アピールをしている。そろそろかなヨシヨシと思い腰を上げた。
ずっとこの瞬間の事は想像していた。
遂に別れの時が来た。しかしアゲハ蝶は中々外に出ようとしない。「ほら、もう行かないと。外の世界が君を待っているよ」とばかりに促すとやっとの事で飛び出すが、外にある鉢に止まって動かない。「しょうがないな。」暫く見守る。すると風が吹き、それに乗ってフワリと蝶が舞う。「そうだ、それに乗って飛んでいけ。」アゲハ蝶はまだ慣れない飛行に苦戦しながら去ることを惜しむ様に風と共に去っていった…「サ・ヨ・ウ・ナ・ラ…。」…的な事になるのでは、と思っていた。
しかし現実はというと、網戸を開けた途端、1番は一目散に空の彼方に消えていってしまった。
電光石火。シュピッという音さえ聞こえた。
「女子は現実的だな…。」

第九章

その日は日中から外出していた。そして夕方頃、妻からメールが入った。
「2番がいなくなっちゃったみたいなんだけど。」
脱走か!?なんという事を…。その時点で私にはどうする事も出来ないのでとにかく妻には謝りつつ出来る限り現場をそのままにしておいてもらう様にメールした。
午後8時頃帰宅。
「ごめんね!なんか嫌だったでしょう。」
「ちょっとね…、どこにいるか分からないし、もしかして踏んじゃったりしたらとか思うとやっぱりちょっと。何も出来なかった…。」
「だよね。あぁ、いないね。蓋の隙間から逃げたんだ。まったく。」
透明カップの蓋には成長したイモには到底抜けられないと思われる位の空気穴を開けていた。2番は排出を終え激走期に突入していたが、その勢い余って穴を突破したのだろうか。という事は今もこの室内のどこかを激走しているのだろうか。
「とりあえず2番のカップを置いていた周りは触らずにそのままにしてあるから。」
「了解。あ、そうか…あのさ、夕飯は食べれた?」
イモに関しては同居はOKだが常に目につく所にはカップを置かないルールだったし、食事している時は話題に出す事も厳禁だった。それがイモが脱走した今、我々もイモと共にカップの中にいる様な状況と言える。そんな中、妻は落ち着いて食事出来たのだろうか?
「うん、まあなんとか気にしないで済ませました。」
スマン…。では即刻捜索します。そして小型ライトを手に作業が始まった。
カップを置いていた地点(本棚やステレオがある若干ゴチャゴチャしている)を中心にして物を退けつつ丁寧に丁寧に見て回ったがいない。なんといってもいつ脱走したかが分からないのでどれだけの範囲まで細かくチェックすれば良いか見当がつかない。最悪家中を見るはめになってしまう。気が遠くなった。
捜索開始から15分、中心地点から半径1m圏内をくまなくチェックしたがまだ見付けられなかった。そうだよな、結構遠くに行ってんだろうな。何かの裏とかに落ち込んでしまってなければ良いけど。この調子では今夜中には無理か、と思ってふと視線を上げたら、そこに目を疑う光景があった。
カップを置いていた地点のすぐ上の出窓の上部、ガラス窓を明け閉めする細いレールの様な所のフチに、2番が逆さまに体を固定しセブン状態になってぶら下がっていたのだ。
割りと近場じゃんよっ。しかもそこでセブンになってんのか?探すのに下ばかり見ていたが、上って…。
なんだか妻と笑ってしまった。
「え、じゃあ今から10日間くらいこのままにしておくの?」
このままだったらいつも食事している場所からは常にイモが見える状況になってしまう。
「仕方ないッスよ…。だから透明じゃなくて紙のコップを上手いこと被せて見えない様にするからさ。」
「見えないけど、いる訳じゃん。あのカップの中にいるって思っちゃったりするじゃん。」
「あぁ、じゃあその前に丁度視界を遮るように布を貼ってマスクするから。」
必死に処置を施し、なんとか無理矢理納得してもらえる環境を作った。
「とにかくもう絶対に脱走しないようにちゃんと管理してね。」
「分かりました。本当にごめんなさい。」
「でも2番、窓を明け閉めするのに丁度支障がない所でよくまあああうまいことセブンになれたよね。」それに関しては妻は感心していた。
「うん、これでもっと奥のレールの所だったら窓開けらんなくなってたからね。しかも上からぶら下がる様にセブンにね。こういう体型もあるんだ。」
1番は「7」だったが2番は見た目「レ」の形に収まっていたが、呼び方は変えずセブンを使った。
翌日プログラム通りに2番はぶら下がったままいつの間にか無事サナギに変化していた。
それからカップの蓋の空気穴を少し小さめにする等、イモの管理をより厳しくした。
その管理下、3番から6番までがスクスクと成長している。その後も外で何匹か茶イモが産まれてきている。まずは1番を無事に孵化させる事に集中しよう。
カップの中で静かに時を待つサナギをチラチラとチェックしながら声をかけた。
「がんばれよ。楽しみにしているね。」

第八章

イモの様子が変だ。
残った葉っぱを取り出して分かったが、今までは葉っぱを食べたゆえに出る乾燥した小さなフンしかしなかったのが、今朝になって粘着質の液状化した物を排出して動かなくなってしまっていたのだ。ビジュアル的には「腹を酷く壊して活動停止」である。
なんだこれ、大丈夫か?見たこともない容態にあたふたしながら直ぐにカップの中をきれいにして葉っぱを追加し様子を見た。こんな事しか出来ない。イモはその後も葉っぱを食べる事なく体をくねらせるばかり。
今一度調べてみる。どうやらイモはサナギになる準備の為に先ずは体内の余分な栄養を排出するらしい。それ以降は一切食べる事なく体を固定出来る場所を探すべく急に移動し始めるとの事だった。しかも今までとは比べ物にならない早さで動くらしい。
そうか、そういうメカニズムだったのか。少し安心したがまだ心配だ。しかし見守る事しか出来ない。妻が聞いてきた。
「1番大丈夫?」
「え?なに1番って…。あ、まさか…。」
以前2人で見たバラエティー番組の事を瞬時に思い出した。出演していた某女性歌手が自分の子育ての方針を力説していて、3人いる息子さん達を上から「1番」「2番」「3番」と呼んで厳しく躾ている、という話を披露していたあれだ。
「もしかしてこのイモの事1番って呼んでんの?」
「だって今家にいるの3匹の中でこの子が一番先に進んでいるんだったらこの子が長男で、名前は1番でしょう。」
先に名付けられたという事がなんだか嬉しかった。本当は同居が苦痛なのではと未だ心配していたが、この事でもうそういった不安は消え去った。
「えぇっと、1番は多分大丈夫。ちょっとそっとしておいてあげようかね。」

その日の夕方帰宅すると「お帰りなさい」の前に妻が「1番凄い動いてるよ。」と嬉しそうに教えてくれた。
「で、お帰りなさい。」
「うぉ…、ハイただいま。そうなんだ。」と早速カップを覗いてみると、1番が、最も近い表現だと「走っていた」。
のそのそモジモジ葉っぱの上を進んでいた印象を「歩いている」としたら、カップの中をツーツーツーと移動する今の印象は「走っている」だ。10cmを5秒で激走していた。
「スッゲーなこの速度。これも何かで読んだわ。サナギになる場所を吟味しているらしいね。で、ポジション決めたら体を固定するんだってさ。おほっ、なんだか興奮するわ。」
そして引き続き「何かで読んだ」のに従い、体を固定しやすい棒状のモノ(一先ず、割り箸)を用意しカップの中に入れた。もう葉っぱは取り除いたのでカップの中は斜めに立て掛けた短い割り箸だけになった。その後はあまりジロジロ見るのも悪いと思い放置しておく事にした。

翌朝、カップを見て驚く。1番が割り箸でなく、カップの内側の面に縦に、少し頭を垂れ、横から見ると数字の「7」のフォルムの体型で体を固定して停止していた。そしてその体長は約2cmにギュッと縮まっていたのだ。
最終的には約6cm程に成長したイモが急に3分の1になっている。
なんなんだこの凝縮は。
「これはセブンだね。」妻が言った。
「え?あ、また先に名付けたな。」
「このセブン状態がサナギな訳?」
「いや違くて、ここからサナギになるらしいんだよね。これは知らなかったわ。イモの形からすぐサナギになるのかとずっと思ってたわ。」
良く観察してみるとカップの内壁に足先と、吐いて作った糸を付着させ。それに寄りかかるように体を固定しているのが分かった。
人間で強引に例えるなら、岩壁に両足を揃えて固定し、ちょうど両手を伸ばして壁に付く2箇所に1m位のロープの両端を接着し、それを頭からくぐり背中に馴染ませてからそれに背筋を伸ばして寄りかかり頭だけをコクッとうなだれさせた、といった体型だ。
どうやって糸を固定し、くぐったのかは謎である。その作業もいつか見てみたいと思った。
セブン状態から丸一日でサナギに変化するらしいという情報は得ていた。いつその変化が訪れるか気になってチラチラ見るがその日は動きはなかった。段々分かってきた。変化の瞬間を見る為にはずっと張り込むか偶然遭遇するかのどちらかしかないみたいだ。

そしてその翌朝、カップの中にはセブン状態を経過しサナギになった1番がいた。おぉ、良かった、無事成れたね。
頭を垂れた状態から後方に例の糸に海老ぞりに寄りかかった形で体長は3cm位になっていた。セブンの時はまだイモ時代の模様が残っていたがサナギになると模様は全く無い緑色で足下には脱皮した跡が落ちていた。
この作業はイモにプログラムされ本能的に行われている。「このやり方は嫌なので別の方法で行きます。」とかは無い。逆らえない本能がある。でも逆らう必要は無い。生物は皆同じ。心の声に身を任せ生きる様にプログラムされている。理屈とかは無い。それが素晴らしい。ドキドキする。
「何かで読んだ」によれば8〜9日したら孵化するらしい。ワクワクする。
1番が先頭を走る中、2番3番も同じプロセスを進行中だ。暫くは目が離せなさそうだ。そう思っていた矢先だ。
2番がやらかした。