生は何故
生疲れ様です。「ロボット工学やCGの技術がもっと向上したら役者は必要でなくなる」的なお話は昔からありますが、音楽の分野では近年それに近い表現が定着しつつある事をふまえたら、お芝居の分野も「今後ありうる」と考えるのが自然かと思ったりする。
で、見切り発車で色々想像してみる。
舞台の場合。
幕が開く。
見た目が人間そのもののロボット(カッコいい男モデル)がプログラムされた「ちょっと素人っぽいけど愛される系の芝居をちょっと噛みながらやる」を始める。
この公演はお客様にはリピーターが多いらしいので毎回プログラムをちょっと変えて飽きさせない様に配慮している、とかね…。
しかし、元々チケットが売れていなかったこの公演、その後も動員が伸びる気配がない。
なので明日から全出演ロボを入れ換えて(違うタイプのカッコいい男モデルを増員)内容もフルチェンジ(青春物から難病物にする、とか)して仕切り直す事になった!
台詞を役者が覚える必要はないので芝居の心配は無い。
多分他のスタッフもロボットなので何もかも一夜にして変更可能…だと思う。
…と、ここまでフンワリ想像していたら「ロボットならそんなもんじゃないだろ!」と思えてくる。
技術が向上しまくってんなら「その場の空気を読んで毎回芝居を変えながら上手いこと最初の場面で掴む」事が自動的に出来る様に設定も出来るだろう。
いやいや、それ以前にスーパー制作さんロボットなんてのがが存在したら、チケットが売れない公演自体を企画する訳がない!
いや?制作さんがロボ、の世界なら…もうお客様も全員ロボなんじゃないか?
だとしたら芝居の内容が
「難病物」
だったら全く共感出来ないではないか。
だとしたら
「修理不可能物」
とか
「このパーツはもう作られてないんです物」
みたいな話にしないとウケない…。
しかし、そもそもロボお客様って何で劇場に芝居を観に行くのだろうか?
教養や感情の新しいデータを採取しに行く為?
それは「トータルリコール」的な事で済むのではないだろうか?出来んでしょ?
そしたらロボお客様の一人(40代のカッコいい男モデル)が微笑みながらこう言った。
「やっぱり芝居は生で観るのがいいんですよね。」
…おぉ…、それは人間の私も共感…。
「生」ってなんなんだろう?
やっぱり「LIVE」じゃなきゃって思っちゃうのは何故なのだろうか?
この辺りで知恵熱で頭脳終了です…。
お休みなさい。
- Category: 飯野雅彦
- Posted by: 飯野 雅彦
- Comment : (0)