欽ちゃん劇団

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第十四章

チョーちゃんに「誕生して十七日目の朝」が来ていたのかどうかは分からない。
そう考えると今まで自分に沢山の朝が来ていたのは実はラッキーだったのだ。そして「今朝」も私には来た。
妻は小さく別れを告げて出かけた。
その後すぐに鉢を用意し、その中央にチョーちゃんを埋めた。そしてその地点に一つグレープフルーツの種を植えてみた。
グレープフルーツの種…。全てはこれから始まったんだ。
続いて中央から少し外れた位置にサトウミズスワセに使っていた爪楊枝を墓標の様に刺してみた。
頭の中でRCサクセションの「ヒッピーに捧ぐ」が鳴った。
「お別れは突然やって来て、すぐに済んでしまった」
その日を境に原点に帰る事にした。
私は植物人間だった。
私は葉っぱをやる人だった。
私は何故か葉っぱが好きなのだ。
ここのところ蝶の事ばかり目をかけていたので正直葉っぱを疎かにしていた。だからもう一度緑と向き合おうと思った。
依然としてアゲハ蝶は我が家にやって来て卵を置いていった。
しかしもうそれはそのままにして自然に任せることにした。
出来る事と言えば、種を植えてイモムシが食べる用の葉っぱを増やす事だけだ。気分は定食屋のおばさんだ。どうぞどうぞ、おいでおいで。


三週間程経った朝。いつもの様に鉢に水をやりに外に出ると、チョーちゃんを埋葬した丁度その地点から小さな芽が出ているのを見付けた。
その芽は今もゆっくり育っている。朝見ると茶イモがいてちょっとかじっていたりする。駄目だ、これは食べちゃ駄目。別の鉢に移す。
これを育て、あわよくば木になったら、ゆくゆくはその木に乗り移ろうと思った。

(終)

第十三章

妻のネーミングにはちょくちょく驚かされる。
ある日、朝に外にあるグレープフルーツの鉢にイモムシがいたのを発見したので、保護しようと指に乗せ室内に戻ろうとした時に、偶然大家さん(男性)と鉢合わせした事があった。
私はすぐに右手を柔らかく握り、人差し指にいたイモを内側に隠した。
大家さんに「部屋を貸している中年男性が朝からイモムシを手に乗せていた」と知られたら流石にマズイと瞬間的に思ったのだ。
「おはようございます。鉢に水やりですか?」
「あ、おはようございます。そ、そうですねはい。」
「今日は晴れそうですね。最近はずっと曇りでしたからね。」
「そうですね、洗濯物も乾きますし助かりますよ。」
「あそうだ。外の池の所にブクブクいうモーター付けたんですが夜とか音うるさくないですか?」
「いや、全然聞こえないですよ。大丈夫です。」
こういう時は何故か会話がすぐには終わらない。二、三分だろうか、右手にイモムシを隠し持ちながらの世間話が続いた。
その日の夜に「いやー、こんな事があったのよ。」と妻に大家さんとの遭遇を話した。
「まあイモ持っているのはバレなかったから良かったけど、見つかっていたら相当怖がられたかもね。」
「へー。じゃあそれは…『イモニギリ』だね。」
「え?…あっ…、また名付けたな。シチュエーションにまでネーミングしたな。」

そんな妻がネーミングしたチョーちゃんは元気に生き続け一週間を経過した。
毎日スワセをする為に羽根をつままざるを得ないので模様は若干薄れ、羽根も少し欠けたりしてしまってはいるが本体は大丈夫そうで、時々室内に放したりしたがうろうろ歩いたりあちこち昇ったりパタパタ羽ばたいていて元気だった。
馬鹿馬鹿しいとは思ったがまるで子供がオモチャの飛行機をブーンと飛ばして遊ぶ様に、時々チョーちゃんの羽根をつまんで空を飛んでいる風に室内をブーンと「飛んでいる体験」をさせたりした。
自力で跳ぶことが出来ないならせめて飛んでいる感じと風を感じてもらえればと思ったのだ。
そんな中、他のイモは次々とサナギになり羽化して旅立っていった。そんな姿を私とチョーちゃん(たまに妻)は見送り続けた。嬉しさと切なさが半々だった。
「チョーちゃんも外に出たいかな。いつも人工の砂糖水ばかりでかわいそうだし、つまんだまま外に連れ出して外の空気を吸ってもらったり、生えている花に乗ってみたりのリアルを感じてもらおうかね。」なんていう考えが浮かんだ。
自宅付近には自生している花もあるので思い切って連れ出す事にした。しかしその姿を露骨にさらすわけにはいかない。
アゲハ蝶をつまんだまま近所を徘徊する姿はマッド過ぎるので、イモニギリのスキルを使い右手でチョーちゃんをつまみ、左手でそれを丸く覆い隠すスタイルで、しかも基本的には「近所に生えているお花を愛でている、という目的で散歩している」という雰囲気を演出しながら外に出てみた。
とりあえず生えている色々な花にチョーちゃんを乗せて回ってみた。
すると我が家のアサガオでは反応なかったが、近所の名を知らぬ幾つかの種類の花には自分からゼンマイ状ストロー吸い口を伸ばし、蜜を吸っている様子だった。
もう飛べない事は明らかだったので花に乗っている時は手を離して、落ちないように注意しながら見守った。
もし誰かがその姿を見ていたとしても、まさかアゲハ蝶を散歩させているとは思わないだろう。そう思ったので少しずつ堂々とすることにした。
その日からなんとか毎日「チョーちゃん散歩」を実行した。勿論スワセも行った。二週間経ったがまだまだ元気だ。室内では黙っていると「パタパタパタパタ」と羽ばたきが聞こえる。その頃にはチョーちゃんは「居て当たり前」の存在になっていた。
しかし十六日目の朝、いつもの様にバケツを覗くとどうも様子がおかしい。覚悟はしていたので「ついにこの時が来たか。」と冷静に受け止めた。
妻も心配していたが、悲しみより、ここまで頑張って生き続けたチョーちゃんを讃える気持ちが勝っているらしくしっかりと現実を受け止めている様だった。
その日は散歩はせずに朝のスワセのみにした。
後ろ髪引かれたが仕方ない。動きの鈍くなったチョーちゃんを残し、外出した。
夜帰宅すると、その雰囲気は
「今夜が峠」
だった。

第十二章

イモとの生活が始まってから蚊取り線香を焚けなくなった。
実際あの線香がイモに悪影響なのかどうかは分からないが「殺虫の為の物」となれば避けざるを得ない。よってそれまでの夏の風物詩であったあの香りが今年は消え、そのかわり室内にいかに蚊を入れないかの取り締まりがより強化された。
そこにきて今度は飛べないとは言え成虫となった蝶との同居がスタートとなったら完全に蚊取り線香は封印である。あの香りが好きでもあったので少し寂しかったが仕方ない。
そうして思わず始まった8番との同居。改めて妻に確認するとどうやら今までのルール「目に入らない所でならOK」が適用可能との事なので晴れて公認入居となった。
さあ、どうしていこうか…。一先ずまた調べを入れてみると、こういうケースは珍しくないらしく色々な体験談を読むことが出来た。
単純に砂糖を溶かした水を与えれば良いらしいが、手厚く世話してもせいぜい一週間程の生命であるとの事だった。
なるほど、だとしたらその一週間を共に謳歌せねばと思った。
早速住み処を作る。
サナギを孵化させていた小さなバケツ状の入れ物をそのままのセッティングで使う事にした。
内部はタオルをふんわりと置いているのでつかまりやすくなっている。その底の中央にペットボトルのフタを置き、半分砂糖を入れ水を一杯に落とし、かき混ぜてティッシュを丸めて中に入れ砂糖水を含ませる。それを「花として吸ってはくれまいか」と促すべく設置してみた。
しかしやはりそれをチューチューすることはなかった。これは少し補助してやらないといかんなと覚悟を決めた。
思いきってバタバタする8番の羽をつまみ、ゼンマイ状のストローの様な吸い口の横からその中央に向かって爪楊枝を入れ引いて吸い口を伸ばし、その先を砂糖水で潤ったティッシュに付けてみた。伸びたら吸い口は2cm位の長さになった。結構長い。
勿論8番は羽根や足をバタバタさせて暴れたし何度も爪楊枝を足ではじいて失敗したので「やはりちょっと強引だったかな。」と止めようと思ったが他に手が思い付かなかったので暫く続けていたら、遂にその吸い口の先をティッシュにポンポンつついて当てる様になった。
ポンポンしている間は足をジタバタさせることなく落ち着いてティッシュにつかまっているので「この感じは、ちょっと吸っているみたいだな。」と思った。
今度はティッシュを外して直接砂糖水に先を付けてみた。すると正にストローでチューチュー飲んでいる様にそのまま大人しく吸ってくれた。
「なんだ、直接砂糖水のシステムで餌やりはなんとかなりそうだな。」と一先ず安心した。
ひとしきり飲ませた後は再びティッシュに砂糖水を含ませそのままバケツの底に設置して8番も中に入れた。すると8番はスサササと歩いてきてティッシュの上に乗り止まった。その後そこが定位置となった。
見ていない時に自主的にチューチューしているか分からなかったがとりあえず定期的に栄養は与えねば、と思い「つまみ砂糖水吸わせ」は朝夕の二回行った。
不安だったがこういった荒療治的な飼い方を始めて二、三日が過ぎた。8番も元気にバタバタやっているので安心した。
「ああして無理矢理吸わせているが実際に吸って栄養になっているのだろうか。」と思っていたがこうやって元気にしているのだから大丈夫だろう、と思うことにした。
段々と「ツマミサトウミズスワセ」のスキルも上達してきた。(恐らく)最低限のストレスで羽根を捕まえてゼンマイ吸い口をスイっと伸ばせる様になってきた。そして吸っている間は大人しくなり、手をはなしても大丈夫な様になった。
そんな様子に妻も興味がある様だった。私がスワセをやっていると必ず見に来た。ああそうだ…彼女は「人がモリモリ食べているのを見るのが好き」だったのだ。このケースは「モリモリ食べる」ではなく「チューチュー飲む」だがこれも有効だったのだろうか。
四日ほどしたら、夕方妻は帰宅するとすぐにバケツの所に行き覗きこんで8番の姿を見るまでになった。
「ただいま。えぇっと元気かな?」
「お帰り。さっき砂糖水新しくしてあげたんだけどバタバタ元気に吸ってたよ。結構まだまだ生きるんじゃないかな。」
「へー。良かったねー、チョーちゃん。」
「え?…チョーちゃん?…まさかまた名付けた?」
「うん、蝶のチョーちゃん。」
なんと安易なネーミング…。ヒ、ヒドイ、と思ったが、なんだかそのストロングスタイルのヒドさが面白かったのと、やはり名付けてくれた事が嬉しかったので乗る事にした。
8番は今日から「チョーちゃん」になった。

第十一章

2番は気が付くと、近くに張り付けていた割り箸にうまいことぶら下がって羽根を乾かしていた。ちょっと出かけている内に産まれたのでその瞬間はまた見れなかった。
3番は1番と全く同じ状況になった。朝見ると産まれのパターンだ。
4番は初の黒アゲハで夜にちょっと目を離している内に産まれた。サナギになって産まれるまで十二日かかった。中々その瞬間を見る事が出来ない。何かそういう視線を察知して産まれる瞬間を見させない、気付かせない能力があるのだろうか。
5番も在宅中だったが見れなかった。
旅立ちもそれぞれだった。一目散系もあったが「別れを惜しむ」系もいて感傷的になったりした。
そんな孵化ラッシュの中で「セブンになる様子」や「セブンからサナギになる様子」は目撃する事が出来た。ムービーも撮った。初めて見るその行動は衝撃的だった。
激走後のイモは体を設置する場所を決めるとまず壁に逆さまに縦にとまり口から出した糸で小さな足場を作り、そしてまたクルリと縦に壁にくっつき足場に足(というか体の末端)を乗せる。そして口で壁に糸を付け伸ばしてきて、自分の後頭部の周りをクルリと器用に回して糸の反対側を壁に口で付け、ちょうど首にタオルをかけたみたいな形を作り(そのタオルの両端が顔の前の壁にくっつけてある、みたいな)その糸にグッと後方にもたれてちょこんとお辞儀をした体型を作る。その時にグググッと体が半分以下の大きさに凝縮される。そんな職人技を使いセブン状態になった一日後に、ズルズルと体をくねらせながら脱皮をしてイモのビジュアルを捨て去り緑一色のサナギに変化する。この脱皮の様は「着ていた浴衣を手を使わずに体のクネクネだけで脱ぐ」といったかくし芸を思わせた。
見事だった。月並みな表現だが不思議な光景だった。
こういう過程だ、という決まりがこの一つ一つのイモにプログラムされていて、それが当たり前の様に展開されていく。
本能。もうそうなんだから仕方ない、そうなります。考えて、とか理屈じゃない力強い進行。この感覚が羨ましく思った。

その後、7番が6番より先に産まれたり等のイレギュラーはあったりしたが順調に我が家からアゲハが巣立っていった。このまま全てのイモが普通に蝶になっていくと思っていた。しかしそうはうまくいかなかった。ある事故が8番の身に起きた。
過信していたつもりはなかった。いつもの様にバケツをセッティングして万端だと思っていた。
8番も日中に孵化しなかったので「またアサミルトウマレかな?」と思いその日はいつものバケツセッティングをして寝た。
そして朝。バケツを覗くと8番は産まれてはいたがバケツのそこのむき出てしまっているツルツルの底でパタパタともがいていた。
その周りのタオルには黒いりん粉が広範囲に付いていた。恐らくサナギから出たもののタオルや割りばしにつかまりきれず底に落ちてもがいている内にタオルもはげてそのままツルツル面の上で格闘していたのだろう。
すぐに手で救い出してみたが、その姿に絶句した。
羽根が平らに固まりきる前に底に落ちてしまった8番の羽根は丁度半分の辺りで内側に曲がってしまっていたのだ。
なんとかならないかと羽根をチェックしてみたがもうすっかり固まってしまっていた。ドライヤーで温めて伸ばしたら、等と考えたが無理だとすぐに気付いた。生き物なんだよ、ワイシャツの襟じゃないんだ。
当然8番は飛べなかった。
パタパタ全力で羽根動かすが空を舞う事は出来なかった。
8番も思っているに違いない。「あれ?こうしたら飛べる筈なのに。おかしい。」と。
もっと注意してセッティングするべきだった。
8番は飛ぶために産まれてきたのに、8番は何故飛べないかを知らない。
私のせいだ私のせいだ私のせいだワタシノセイダワタシノセイダワタシノセイダワタシノセイダ…。
取り乱した。
その時に強烈に思った。
「そもそも私が保護して孵化させるなんて事が不自然なのではないか。」と。
8番は私と出会わなかったら今頃は大空を優雅に舞っていたのではないか、と。
妻も全てを見ていて落ち込んでいたが、まだ私より冷静だった。
「でも家に来なくて外にいたまんまだったらイモの時に食べられたり死んじゃってたかもしれないんだからさ。沢山おいしく葉っぱ食べて一応蝶になったんだから良かったんだよ。」
「…まあそうだけど、しかしこれはちょっと残酷な事しちゃったわな…。」
「でも生きてんだから、まだ。」
「…うん。まあ、そうだよな。うんよし、こうなったらこのまま8番を飼うしかないかな。」
事故や事件を無駄にしない唯一の方法は「再発しない努力をする」だろう。ならば教訓を生かしこれからの産まれてくる準備はより一つ一つ丁寧に気を張ってやっていこうと決意した。
そしてこれからどれだけケアしてあげれるか分からないが出来る限り8番の世話をしていこうと決心した。
「しかし、こういう蝶ってどうやって飼えば良いのだろうか?」
こうして思わぬ形でアゲハ蝶8番との同居が始まった。

第十章

1番がサナギになってその様子に余りに変化が無いので少し心配していた。しかし八日後にいつもの様にチラチラ見ていて「あれ?」と思った。
「ちょっと模様が浮かんできているのでは?」
黄緑色だったボディに薄い黒や白っぽい斑点が浮き出て来ているではないか。
その後1番はゆっくりと変色して九日目を過ぎるとサナギの薄皮一枚の向こうに黒い物体がギュッと収まっているのが良く分かるまでになった。
ついに来たな、いよいよだ…。
孵化する様子を是非間近で見たいと熱望したが、ならば二三日寝ずに定点観測覚悟、となればそれは不可能。まあその後にも孵化待ちが控えているのでまだチャンスはある、無理はやめようと思った。
その頃には窓枠のオブジェと化した2番を含め9番までのイモがスクスクと育っていたので、これだけいれば孵化する様子や他にも「セブンになる様子」「セブンからサナギになる様子」もいつか見れるだろうと思った。とにかく自分が見たい欲求は抑えて自然のままに。見れたらラッキー、という事で。
どういうタイミングかは分からないが今後の展開は「サナギの上部から殻を破って出てきて羽根を乾かす為に暫くは止まっている」らしい。しかし実際どんな事になるかは未知数。もうすぐなのは確実なので、もし見ていない時に孵化した場合に備えてバケツにカップを入れ、一応割り箸をサナギの近くにセット。そして産まれてすぐにどこかしらにつかまれる様に内側にタオルをぐるりと設置してみた。ツルツルのバケツの内壁全体を引っかかりやすくした訳だ。
「とにかく無事産まれてくれれば良い。」そう祈った。

十日目の朝が来た。
気になっている為か昨夜も何回か目が覚めてその時にチェックしたが1番に動きはなかった。
なので、まだだろうなとフラッとバケツを見に行ったら…産まれていた。おぉ…1番イモがアゲハ蝶になった…。
「本当にこうなるんだ。」と思った。
パリパリのサナギの皮の少し上のタオル面に、まだ羽根がシワシワの状態の1番がじっとしがみつく様に静止していた。模様からしてスタンダードな良く見るタイプのアゲハである。おぉ…これだけの体を小さなサナギの中に閉じこめてさぞ窮屈だったろう。
この羽根のシワシワ感からして産まれたてなのだろう。だとしたら「もうちょい待って孵化するところを見せろよ〜。」と思ったがそれはもう良い。
タマゴから飛び出して約三週間。あのイモがこれになったという事実がまだちょっと信じられない。
あんなミクロな茶イモだったのが黄緑になって、モジモジサクサクしたら、今や黒ベースに鮮やかな薄茶や白、薄紫やオレンジの複雑な模様をあしらった空飛ぶベルベットになるなんて。理屈ばかり考えがちな頭ではまだちょっと追い付けない。
1番はその後ニ十分程かけてゆっくりと羽根を伸ばし、遂にはピンッと広げてパタパタし始めた。
起きてきた妻もその姿を見て興奮していた。
妻も頑張ってくれた。虫苦手を無理矢理克服してもらいサポートしてくれたから1番は無事に孵化する事が出来た。
アゲハを見た妻は嬉しそうだった。良かった。そんな妻の姿も見たかったのだ。
せっかくなので滅茶苦茶観察した。
アゲハ蝶をこんな間近で見る事は初めてだ、しかもちょっと指を出したら乗ってきて、手の中でじっとしているではないか。
間近で見ると本当に綺麗だった。なにせ産まれたてだから傷一つ無い新品。ジャケットから初めて出したバリバリ新品のアナログレコードを思わせる黒光りの美である。
今まで「長男だから1番」とか言っていたが、良く見たらメスだった。長女だった。
妻にも見せると、
「この模様ってイモっぽくない?」と言ってきた。
「え、どこのこと言ってんの。」
「この羽根の下の所の模様がこう…。」
気が付かなかった。確かに羽根を開いた時の下のふちの模様がイモムシを横から見た時の姿に似ていた。しかも両方の羽根にシンメトリーにあるので二匹のイモが内側に見合っている様子に見える。
「一度液状化するにしても、イモ時代の模様の名残をこんな感じで残しているのかね。そう言われたらこの模様、イモにしか見えなくなってきた。しかし良く気が付いたね。」
「そこそこ見せられていましたからね。で、すぐに外に放しちゃうの?」
「まあサナギになってから十日間何にも食べてなくて腹ペコだと思うからすぐ放してあげたいけど、少し飛んだり落ち着いてきたらにしようと思う。」
「分かった。じゃ私は行ってきます。」そして妻は1番に「じゃあね」と別れを告げて仕事に出かけた。
私はまだ外出まで時間があったので暫くは遠目に観察しながらコーヒーでも飲んでいた。
「アゲハカフェ」である。
一時間もしたら飛びが安定してきた。網戸に向かって元気にパタパタ「出たいのだが」アピールをしている。そろそろかなヨシヨシと思い腰を上げた。
ずっとこの瞬間の事は想像していた。
遂に別れの時が来た。しかしアゲハ蝶は中々外に出ようとしない。「ほら、もう行かないと。外の世界が君を待っているよ」とばかりに促すとやっとの事で飛び出すが、外にある鉢に止まって動かない。「しょうがないな。」暫く見守る。すると風が吹き、それに乗ってフワリと蝶が舞う。「そうだ、それに乗って飛んでいけ。」アゲハ蝶はまだ慣れない飛行に苦戦しながら去ることを惜しむ様に風と共に去っていった…「サ・ヨ・ウ・ナ・ラ…。」…的な事になるのでは、と思っていた。
しかし現実はというと、網戸を開けた途端、1番は一目散に空の彼方に消えていってしまった。
電光石火。シュピッという音さえ聞こえた。
「女子は現実的だな…。」