第十三章

妻のネーミングにはちょくちょく驚かされる。
ある日、朝に外にあるグレープフルーツの鉢にイモムシがいたのを発見したので、保護しようと指に乗せ室内に戻ろうとした時に、偶然大家さん(男性)と鉢合わせした事があった。
私はすぐに右手を柔らかく握り、人差し指にいたイモを内側に隠した。
大家さんに「部屋を貸している中年男性が朝からイモムシを手に乗せていた」と知られたら流石にマズイと瞬間的に思ったのだ。
「おはようございます。鉢に水やりですか?」
「あ、おはようございます。そ、そうですねはい。」
「今日は晴れそうですね。最近はずっと曇りでしたからね。」
「そうですね、洗濯物も乾きますし助かりますよ。」
「あそうだ。外の池の所にブクブクいうモーター付けたんですが夜とか音うるさくないですか?」
「いや、全然聞こえないですよ。大丈夫です。」
こういう時は何故か会話がすぐには終わらない。二、三分だろうか、右手にイモムシを隠し持ちながらの世間話が続いた。
その日の夜に「いやー、こんな事があったのよ。」と妻に大家さんとの遭遇を話した。
「まあイモ持っているのはバレなかったから良かったけど、見つかっていたら相当怖がられたかもね。」
「へー。じゃあそれは…『イモニギリ』だね。」
「え?…あっ…、また名付けたな。シチュエーションにまでネーミングしたな。」

そんな妻がネーミングしたチョーちゃんは元気に生き続け一週間を経過した。
毎日スワセをする為に羽根をつままざるを得ないので模様は若干薄れ、羽根も少し欠けたりしてしまってはいるが本体は大丈夫そうで、時々室内に放したりしたがうろうろ歩いたりあちこち昇ったりパタパタ羽ばたいていて元気だった。
馬鹿馬鹿しいとは思ったがまるで子供がオモチャの飛行機をブーンと飛ばして遊ぶ様に、時々チョーちゃんの羽根をつまんで空を飛んでいる風に室内をブーンと「飛んでいる体験」をさせたりした。
自力で跳ぶことが出来ないならせめて飛んでいる感じと風を感じてもらえればと思ったのだ。
そんな中、他のイモは次々とサナギになり羽化して旅立っていった。そんな姿を私とチョーちゃん(たまに妻)は見送り続けた。嬉しさと切なさが半々だった。
「チョーちゃんも外に出たいかな。いつも人工の砂糖水ばかりでかわいそうだし、つまんだまま外に連れ出して外の空気を吸ってもらったり、生えている花に乗ってみたりのリアルを感じてもらおうかね。」なんていう考えが浮かんだ。
自宅付近には自生している花もあるので思い切って連れ出す事にした。しかしその姿を露骨にさらすわけにはいかない。
アゲハ蝶をつまんだまま近所を徘徊する姿はマッド過ぎるので、イモニギリのスキルを使い右手でチョーちゃんをつまみ、左手でそれを丸く覆い隠すスタイルで、しかも基本的には「近所に生えているお花を愛でている、という目的で散歩している」という雰囲気を演出しながら外に出てみた。
とりあえず生えている色々な花にチョーちゃんを乗せて回ってみた。
すると我が家のアサガオでは反応なかったが、近所の名を知らぬ幾つかの種類の花には自分からゼンマイ状ストロー吸い口を伸ばし、蜜を吸っている様子だった。
もう飛べない事は明らかだったので花に乗っている時は手を離して、落ちないように注意しながら見守った。
もし誰かがその姿を見ていたとしても、まさかアゲハ蝶を散歩させているとは思わないだろう。そう思ったので少しずつ堂々とすることにした。
その日からなんとか毎日「チョーちゃん散歩」を実行した。勿論スワセも行った。二週間経ったがまだまだ元気だ。室内では黙っていると「パタパタパタパタ」と羽ばたきが聞こえる。その頃にはチョーちゃんは「居て当たり前」の存在になっていた。
しかし十六日目の朝、いつもの様にバケツを覗くとどうも様子がおかしい。覚悟はしていたので「ついにこの時が来たか。」と冷静に受け止めた。
妻も心配していたが、悲しみより、ここまで頑張って生き続けたチョーちゃんを讃える気持ちが勝っているらしくしっかりと現実を受け止めている様だった。
その日は散歩はせずに朝のスワセのみにした。
後ろ髪引かれたが仕方ない。動きの鈍くなったチョーちゃんを残し、外出した。
夜帰宅すると、その雰囲気は
「今夜が峠」
だった。
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