第四章

「花はやらないんだね。」
妻に指摘されて、ああそうかと思う。アサガオだけは引き続き毎年育てていたが他に「いかにも花です」みたいな子はやっていない。
「葉っぱが好きなのかもしれない。小さな芽だったのがドンドン大きく太くなって葉っぱがワサワサしていって木になる感じが楽しいのかな。まあ花が咲く木も多いし区別していきたい訳じゃないけど。なんだか花より葉っぱの方が美しいと感じるんだよね。」
「へぇ。」
「これからも花は積極的にはやらないと思う。葉っぱしかやらないと思う。」
「それも外では言わない方が良いよ。」
花は散る。それが悲しいからという訳ではなく、私はコツコツ成長して結果ドーンと居座り、ワッサリと葉っぱが茂る木という生き物に何故かシンパシーを感じるのだ。
各々が30cmから1m位まで成長したまだ木の子供みたいな我が家の木ちゃん達(まとめてそう呼んでいる)もゆくゆくは地面に立たせたい。そうすれば恐らく私が死んでも生き続けるだろう。その時は私はその木ちゃんに乗り移ろうと思っている。
「そんな事出来るの?」
「試してみる価値はある。木の守護霊になる訳ね。」
「そういう木が邪魔して建物が建てられない伝説とかあるよね。」
「建物を作る方が邪魔って思いますね。邪魔しているのはどっちだ、と言いたい。」
「植物サイドからの発言が出た。」
「そりゃそうですよ。私は植物人間だから。」
秋から冬にかけての鉢に動きは無い。葉っぱも散り見た目があまりにも枯れた雰囲気になる物もあるので「死んだか?」と思う鉢も少なくない。今までいくつかもう駄目かと勝手に判断して鉢から抜きバラしたことがある。しかし春になってバラしたままなんとなく置いておいた子から芽が出ているのを発見して慌てて鉢に植え直したなんて事もあった。その後その子は立派に成長した。
結局、勝手に判断せずに放っておけば良いのだ。植物ちゃん達は我々の貧弱な想像を遥かに越えた生命力を持っている。ただただ上へ上へと目指して行けば良いという訳がない。枯れた風なその佇まいにも生きる為の知恵や目論みが凝縮されているのだ。

そして新居での2度目の春が来た。
3月に入った辺りから鉢に動きが出てくる。コッチコチになっていた枝から不釣り合いな程瑞々しい小さな緑がプッと顔を出す。
この4、5ヶ月間留守になっていた空き家に春と共に魂が渡り鳥の様に戻ってきて「さて」とばかりに活動を開始する、そんな感じ。
そうして新芽が出て葉っぱが揃ってきたな、と感じる5月にやはりまたあいつらも帰ってくる。
今年もか、ドウモドウモ。しかし毎年あんなにつれなく追っ払っても必ず春になると来るんだね、アゲハ蝶よ。おまえは冬の間どこにいたんだ?この4、5ヶ月間何らかの形態を保ちながらこうして羽ばたくのを夢見てじっと我慢していたのかい。そうか、そうなんだよな?
そう思うと泣けてきてしまった。
当たり前だが、アゲハ蝶はそんな私を責める素振りも見せず自分達の未来の為にやるべき事をやって飛んでいく。この為に生まれてきたのさ、と言わんばかりに。
あぁ、すまなかった。今まで、本当にすまなかった。そうして繋がれたせっかくの命を私は今まで…あぁ。
そんな風に思ってしまった以上もう葉っぱに産み付けられた卵を取る事など出来なくなってしまった。
排除など出来るはずがない。この直径1mmの小さな卵ひとつひとつには将来空を飛ぶ、なんて事が出来る生命体がコツコツとこれから生きる準備をしているのだ。
何かが私に問う。
「おまえは空を飛べるか?」
「飛べない。」
「そんなおまえにこの卵一つでも生きる邪魔をする権利があるか?」
「…無い。」
あぁぁわ分かった。もう分かった。正直言って興味がわいてきていたし、素直になりここに宣言する事にしよう。
「決めた。今年はサポートする。イモムシを育ててみる…。」
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